「自分史」を作ってみませんか

 ひとかどの仕事をなしとげた人が、ある時ふと立ちどり、それまでのことを書きはじめる。

 それにしても「ひとかど」は美しい日本語です。一廉という漢字がそれに当てはまりますが、今やほとんどの人は使いませんね。並はずれたこと、ひときわ目立つという意味です。しかし、このことば、少しボケて聞こえるのが現代の良さではないでしょうか。

 価値観が多様化し、社会の仕組みが複雑化している現代、美しく貴重なことばであった「ひとかど」に該当する人々が自分のまわりにたくさんいるようになった。その背景には、世の中全体が複眼でものをみるようになったことがあるでしょう。価値のあることが特定の人々の専売特許でなく、隣のおばさん、おじさんがやっている、このように価値あることが広がりを見せているのが現代ではないでしょうか。有名人や金持ちだけが注目されるのではないという価値観が広まってきました。これを市民社会の成熟として歓迎したいと思います。

 自分史はここ20年、すっかり国民に定着しています。価値観の多様化のほかに、日本人がここにきて知力がアップしたことで自分史の追い風になったと分析する人がいます。一方で児童・生徒・大学生の学力低下がいわれながらも、目を転じるとわれわれは、リアルタイムで世界の情報を得ることができますし、海外旅行による知識の広範化など、ありあまる情報、知識の渦の中におります。

 それらが回り回って、科学者、哲学者、教育者など系統だったサイエンスにもとづいて分析・研究をする専門家が人間社会をひっぱっているのではない、たとえ無名であっても、価値あるものを身に付けた人々が各界各層で活躍しているのが現実だという認識が社会を覆っているように思われます。

 日本人はすでに、特定の権威や限られた専門家の知識にまどわされたり、盲目的に従ったりすることはなくなりました。自分の目と足でやってきたことに価値を見出すようになりました。むしろ積極的に自己の判断を優先するようになってまいりました。

 自分史は、ここに至って隆盛を迎えます。こういう精神風土のなかで自己を主張するのは当たりまえです。上からおさえられたり、何かの主義主張が目の前に立ちふさがったりしては、自分史は成立しませんから・・・。

 もともと自分史は突然に生まれ出たものではないようです。文芸作品のジャンルのひとつである「伝記」に属しているといわれています。小説とはまったく違うもの、むしろ歴史ものに近いものです。

 自分史とは何かの定義づけはまったく必要ないといわれております。何でも書く。普通のことを書く。しかし忘れてならない視点として、自分の体験の中にある歴史性を自覚して書くということではないでしょうか。

ご希望の方には、当社発行の小冊子

『激動の人生を綴る』を差し上げます。

A5判 12頁

メールにて『激動の人生を綴る』希望と明記し、

送信してください。

お問い合わせ

トップページへ